香魚「Ayu」の季節  2003 Ayu Diary 2004 Ayu Diary
       
2005 Ayu Diary
昔から鮎のことを香魚と呼ぶ,確かに鮎は
「すいか・きゅうり」のような香りがする。

まことに清々しい香りである。図鑑によれば
鮎は,キュウリ魚科に属するそうである。

私と鮎との出会いは,時を遡ること30数年
父の実家である栃木県那須郡馬頭町へ毎年
盆に遊びに行き,目の前を流れる那珂川の
支流にあたる大内川そして那珂川・箒川へ
投網を打ちに行き炭で焼き食べるのです。
幼少の頃の私は投網など打てるわけもなく
獲った鮎を入れる竹で作った「竹つっぽ」とか「はけご」と呼ぶものを持ち付いて回る。
おかげで中学になると一丁前に投網を打たせてもらい,へたくそながら結構獲ったものです。
とにかく,昔は鮎がいました。夜網をするのですが,くるぶし位の岸から投網を打てば
半分も開かなくっても鮎は入っているのです。2時間もやれば食べるには十分でした。
今考えれば〜釣や投網をする人も少なかったのではないかと…

さて,私が本格的に鮎の友釣りをするようになったのは,まだ最近です。
正直言って,6年目です。しかし,初めての鮎を釣った時のことは今でも脳裏に
焼き付いている,それは更に遡り高校の夏休みのことでした,田舎の従兄が
グラスファイバー(当時は,画期的な鮎竿でした,まだまだ竹竿が使用されていたのです。)
の鮎竿を買い,釣りに飽きた頃その竿を私に貸してくれたのです,私はその鮎竿を持ち,
地元の鬼怒川へ行ったのでした。
仕掛けはもちろん市販品を使い,本で学んだとおりの友釣りを実行したのです,
午前9時ころから始めましたが一向に釣れず,午前11時ころでしたか
いきなりの手ごたえ「ガァガァガーン」と下流に引っ張られていく!!
竿を立てるのが精一杯でどうにもならず50メートル位川を下った,
そこでなんとか囮と共に掛け鮎が網の中に納まったのでした。私は,たった一匹なれど
とにかく嬉しくってその鮎を持ち一目散で家に帰り,母に報告したのでした。
もちろんその夜は,母の焼いてくれた鮎の塩焼きが私のおかずとなりました。
しかし,私はその後鮎釣りにははまりませんでした。なぜ?と思うかも知れませんが…
実は,当時の私には鮎の友釣りがえらく残酷な釣りに感じたからです。

そんな背景には,一冊の本があるようである。
私は,幼少のころから魚釣りが好きで(多分に父親の影響ありですが…),
また魚に大変興味がありました。小学校の図書館に入っても魚関係の本を探し見る読む,
そうした中に一冊の今でも忘れられない本があります。その本の題名は「鮎の子アッポ」
鮎の生態(1年魚)を主人公のアッポを通じ教えてくれる,また海から川へ遡上途中,遭遇
する数々の危険,また冒険心を持って綴っている。当時,何度も読み返したのを覚えている。
今でも図書館にあったら,もう一度読んでみたい一冊である。

友釣りとは,鮎の習性を利用し,囮鮎(主に養殖鮎)または種鮎に鼻環というものを付け
逃げないようにし,なわばりを持つ野鮎の住みかに泳がせ喧嘩をふったけるのです,
野鮎は自分のなわばりから追い出そうと体当たりするのですが,この時,
囮鮎には恐ろしい掛け針が仕掛けられており,野鮎は針に掛かってしまうのです。

ところが,6年前先輩の勧めで鮎釣りの手ほどきを受け,仕掛けの作り方・引き抜き
(キャッチング)・チャラ瀬の泳がせからトロ場の釣り,瀬釣りまであらゆる技法を見せて貰い,
そして学び.今では,一日楽しんでこられるだけの技量を会得するになったわけであります。
正直,心のどこかには未だに少年のころと同じ感覚を覚えてはいるのですが・・・自分の技量
が上がり,釣れるとなると漁師魂が芽生え,またダイナミックな感触であるなどから,
魅了されてしまいました。
鮎の香りは清々しく,食べても美味しい魚ですし…止められません(笑)
H15,9,3~4那珂川八溝大橋上の瀬での釣果,30匹
だふん私は,これからも鮎釣りに渓流釣りに,そして山登りと人生を謳歌し続けることと思うし,
そうありたいと考えます。2003,9,15~思うがままに~menu page