怪奇大作戦にまつわる語録


むしろ,新劇やってる自分の方が不自然なんであって,ぼくは心の中では円谷育ちだと思っているんです.というのは『怪奇大作戦』というのは,すごくいい作品だったと思うんですが,何というか,シリアスな空想劇とでもいうんでしょうかね.で,この作品に出たことが,ぼくの芝居にとっての大きな転機になったように思うんです.

岸田森
【小幡貴一・友貴編「不死蝶 岸田森」より】


今思い返してみると,こんなテレビ映画の作り方は夢物語だ.それも,おそらく私が局からの出向監督だから我儘放題にできたのだと思う.皺寄せは他の監督たちに行っていた.そのことも気づいてはいたが,私は気狂か子供のように妥協しなかった.兎に角,何と思われようと“自分の想い”を貫こうと決心していた.人には誰しも花の時がある.演出にしてからがそうだ.怪奇大作戦こそ,私の花の時じゃなかったか,と思えてならない.

実相寺昭雄監督
【著書「夜ごとの円盤」より】


円谷プロでは,一度だけ,別にうまい話ではなかったが,わたしもロケハンのみで中止になりかけたことがあった.「怪奇」の京都編2本である.タイアップ先まで製作部は決めていたのだが,予算に合わず,ということで中止の判断が下ったのである.それが復活したのは,大半を京都映画に委託するという特別な形態をとったからだ.結果的にはあの2本がやれて,ほんとうによかったと思っている.

実相寺昭雄監督
【著書「ウルトラマンの東京」より】


“あの2本は,監督のわがままし放題のロケで,おそらく,カットごとに場所を移動していることなんか,空前絶後だと思われる.テレビの30分もの,内容の正味23分ちょっとの作品が2本で,正確に勘定をしたわけではないが,お寺だけでも30近く回っているだろう.”

実相寺昭雄監督
【著書「ウルトラマンの東京」より】


『ウルトラマン』からはじまったぼくの特撮もののなかで,身についてきた知恵を特殊技術の大木君たちと相談し,なんとか自分なりのものを出せたのは,皮肉なことに昭和43年の『怪奇大作戦』だったろう,と思う.

実相寺昭雄監督
【著書「ウルトラマンのできるまで」より】


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