報知新聞社主催
高木高橋両八段東西聯珠決戦
 「聯珠春秋」誌昭和5年11月号より

龍虎盤上に踊る

一は関東の豪、一は関西の雄 八段高木楽山、八段高橋美山両氏の決戦の日は遂に来る

豪快そのものの如き珠風の所有者高木八段 鮮麗なる打揚げを以て鳴る高橋八段
豪快と軽快 巧緻と妙配 太き線と細き曲 相交錯する交響楽はまさにかなでられんと
はする

この歴史的意義ある対局は更に幾多の歴史的記録を残し、美と醜 善と悪 有情と非情
の経緯は実に画期的な一大織物を作り上げた

不幸にして今は局面に触れる自由をもたない、又勝敗の結果に立ち入ることも遠慮すべ
き立場にある がしかし、その間に捲き起された 幾個の事実そのものを書出すことは
本対局を意義づけるものであり、読者に忠なるものであると信ずる

支那式の誇張的文字の使用 美文的麗句の配列は、却って事実を誤伝する 牛のヨダレ
式に 或は金魚のウンコ式に事実を記録し、将来の参考にせんとはするのである


意義あるこの歴史的対局は抑も何のため、何人の手によって、挙行されることとなった
か 現代語でいえば「何が両八段を対局させたか?」

愈々ストーリーに移る
第二回報知新聞聯珠関東関西の決勝戦として、関東の優勝者たる高木八段 関西のそれ
高橋八段との決戦は当然に催される状態に置かれた そして主催者側の報知新聞社 対
局者たる両八段の準備は既に九月中旬(注:昭和5年)に終わった かくして月末には
高橋八段上京する約は成立した

これより先、高木八段を名人に推薦すべき議、旺然聯珠春秋会内に起り、平井学(六段)
幹事長は推薦者の一人として直ちに、関西側有力者たる八段久保松機山、六段森咄牛、
同矢野定三諸氏を歴訪し「名人推薦に対して快く推薦者たるべし」の快答を得て高橋八
段の賛否を求めた結果「高木八段の名人となること勝手たるべく、余は反対もせず、挑
戦もせず」との怪答を得た 斯かる間にも檄は飛び、東京平岩米吉七段、横浜浮島賢之
助六段、台湾鈴木梅石六段の名人推薦者の一人たる可き快諾書は続々集り来った
更にこれより先、関東珠界の功労者八段高橋清致氏 春秋会の功労者田村庸一氏の快諾
のあったことを忘れてはならない 否推薦者として自ら陣頭に立ったのであった。


斯くして高木八段の名人たるべきことは単に時日の問題となった この間転々平岩七段
と高橋八段との往復文書に於て、高橋八段が、その書中に、名人問題にふれて、聞きよ
かざる文言を認めあった 平岩七段は、それによって、むしろ早く報知決戦を進める方
がいいであろうとの話が出たということである


こうした空気中に対局の議が纏ったのである 従って、主催者側としても、或はこの対
局の結果で名人問題が決せられるものではないか位の考えをもつことも当然であるかも
知れない 最初は高橋八段の申出で、中京辺りに双方で出張の筈の処すべてに於て不便
故、同氏上京の段取りとなったが、結局上京見合わせとなったのである。


気持ちよく対局を進むべく勇んでた折も折の断りである 準備も出来、主催者とも打合
せは済の後なのである 思うに、家庭上の理由もあるのであろう 幸にも、高木八段が
下阪するなら打ち得るとのことで、「ではこちらから出掛けよう」と重ねて、新聞社初
め諸般の打合せを終った

対局の条件の主要点は次の通りである
 一、対局数は互先五番即総局数拾局
 一、先番決定は握って定めること
 一、全指定(間接直接二十四種)
 一、五珠指定打
 一、時間制限なし
               以上
    (注:当時はもちろん19道四々勝ちルールですが、以下に掲載する棋譜は便宜
       上15道盤を利用します。)


斯くて、十月一日高木八段下阪し、日本橋北詰、東入る三国屋旅舘滞在のこととなった
が、ひと先づ出迎えの矢野、平井両六段と共に矢野氏宅に会食した
この日直ちに平井六段と共に放送局(注:ラジオ局)に煙山氏を訪ねて実戦放送(九日
午後七時二十分挙行)の件を議した
対局場所その他を種々協議しつつ早くも対局日取りの十月四日を迎えた

十月四日午後三時大阪本町聯珠社支社浄久寺、奥の書院で対局は開始された
時間レコード係並珠譜レコード係として高木八段側後藤ニ段、高橋八段側殿最氏
列席者平井矢野両六段、笹部車川両五段、報知新聞社大阪支局池田亮、見佐山敏郎両氏
(注:他に高橋美山側からの立会人として小林豪溥あり)
尚、夕景より森六段、報知支局長関太一郎両氏の列席あり

対局は高木八段先番と定まり高橋八段第六珠を下す(第1図参照) 目先の変った防珠
のため、高木八段容易に石を手にせず盤上一切の変化を読み極めんとし、一考、再考、
熟考、熟慮、しかも態度平然 刻一刻時間は経過す 列席者側むしろ疲れ模様あり 午
後十時に至るも悠々変化を読んで倦まざる高木八段も、浄久寺取締りの都合上、十一時
過ぎは一切出入り御遠慮願い度き旨の申出を平井六段より聞き、ひと先ずタイム、協議
の結果、一旦三国舘に引揚げ打継ぐ方向なりとの決定を見、一同と共々同舘に至る

第1図(白6まで)
 黒 八段 高木 楽山
 白 八段 高橋 美山

さて同舘にて対局続行 一方平井矢野両六段合議の結果、
列席者は主催者を除き、附添、対局者二名宛としてその他
はすべて遠慮するが至当を主唱し、別室に納まり、連聯珠
を開始して形勢をまつ 十二時に至るも尚高木八段変化を
読んで三昧境に入った様である
斯くして平井六段提案して曰く「どうも先程から御両氏の
様子を見ると、楽山氏はいい気持ちで考えているし、美山
氏は大分お疲れの様でもあるし、打掛けはせぬとの規約が
あるそうですが、一体美山氏はどうします?」
美山氏黙考
平井六段重ねて、「では一層今晩お二人だけで、ユックリ
対局されて打ち続けるとも、又疲れたら一所に枕を並べて
寝まれるという方法は如何です これから毎日続けて打つ
のにとてもこれでは身体が続かないでしょう」
小林氏賛成と言う
美山氏「でも家庭もあることだし、それに毎日毎日こうし
てることは不可能でもあり、仮に徹夜してこの勝負が決す
るならともかく、明日になってもこのままだとつまらないし…」
楽山氏曰く、「全く今の私としては大体変化も読み終って、ただ念のため次の着珠がい
いかどうか再考中なのですが、何れにしても、私としては約束通り幾日でも、対局を続
けたい しかし次の石を打つのは最早余り時間はかかるまいと思う」
矢野六段曰く「では碁や将棋でするように『封じ手』をしたらどうでしょう すなわち
高木さんが、次に打つ石を内所で書いて、それを帳袋に密封し、立会人一同で、封印す
る方法をとって、それを関支局長にお預けして、明日打ち続けることにしたらいいでし
ょう」

右種々の提案も、対局者双方直ちに受け入るるの形勢なく、一同引下がって、黙って成
行を見ることとし尚暫く待っていた が遂に「封じ手」なる聯珠界未曾有の制度を採用
して、ひと先ず打掛けとすることに決し、一同サインして各自帰ることとなった
時に四日は経って時計は一時半を指していた すなわち五日の朝であった 高木八段一
手熟考、遂に八時間余のレコードを作った 驚く勿れ一手八時間余

昭和5年10月7日付 報知新聞

沈思八時間 ――名人争の聯珠
高木、高橋の両八段

聯珠の名人争ともいうべき本社主催聯珠決戦第一回は四日午後三時から大阪市東区本町
浄久寺で高木(東京)高橋(大阪)両八段対局で開始されたが、同三時十一分高橋八段
の下した白第六珠が従来の珠譜に現れざる新手であったため高木八段はこれが対策に一
方ならず腐心し長案に耽ること四時間余に達したが、浄久寺の都合により会場を高木八
段の止宿三国舘楼上に移し食事其他に要した一時間七分を差引いた正味八時間十三分の
長時間にわたり緊張の中に血の出る様な練想を続けたが高木氏が斯くも長案したのは同
氏がこれから下さんとした黒第七珠がほとんど全局の運命を決する程の重大性を持って
いるがためで高木氏程の練達の士がかく長時間の研究の結果漸く下した石に対して高橋
氏が更に長時間の考慮を必要とすることは想像される かくては両八段の疲労甚しく今
後の対局に支障を来す恐れありとして両八段の観戦及び立会の小林六段矢野六段平井六
段などが加り協議の結果五日午後零時四十一分に至り高木氏の第七珠を同氏の自筆で珠
譜に書入れ厳封し対局の二氏が封印し表紙に右の名士がサインして厳重保管方を立会中
の関本社大阪支局長に一任することに決定し一先づ散会した(中略)今回の決勝戦を開
くに至ったのは聯珠界の元老以下挙って高木八段を名人に推薦せんとしたのに対し大阪
側の高橋美山八段が連名を差し控えたため対戦するに至ったものである。

五日午後二時から天王寺森の宮、矢野六段私宅で開始された 附添前日通り 立会人平井
矢野両六段、笹部車川両五段、木下兄弟、小林の諸氏
高木八段慎重なる態度にて一手もおろそかにせず、遂に夜の幕は落ち、漸く冷気肌をさす

第2図(白12まで)

時は刻々と進み、零時に至る 黒七珠より第十一珠迄進んで
白十二の防手を受けて、黒十三の着点何れと一同固唾を呑ん
で見守る 斯くする内にも時間は進む、徹夜して打通すか否
かの問題に触れる 既に変化読み切った高木八段徐ろに口を
開く
「どうします?」
「封じ手のほかないでしょう」
前日通り次の打着点を認めた高木八段、自ら密封し一同サイ
ンして一先づ打切る

念のため附記する 封じ手は対局者双方の合意であることを


昭和5年10月7日付 報知新聞(地方版分)  

かくて五日は会場を変更 市内住吉区矢野六段氏宅で前日同様小林、後藤、矢野各氏立
の下に前日に引続き午後三時三十六分高木八段の第七珠より手合を開始「との十」より
打始めたが第十二珠を打進み第十三珠に至りまたまた高木八段黙想に入り二時間六分を
費やしたが、打下す気配を見せず、立会人協議の結果、前日同様対手をなし厳封、矢野
六段が預かり十二時ついに散会、六日は休養、七日改めて続行することになった

六日は対局者双方の合意で休むことになった。この日東京から永田五段が附添として来阪
した

七日は高木八段気分悪きため八日対局の旨高橋八段に打電し、この日は休むこととなった

ここに俄然、対局気分まで破壊する重大問題が惹起された それはほかでもない 小林氏
が対局中止を提唱されたことによるのである それは決して他意ある訳ではない 高橋八
段の実父春洋氏多忙のために代わって附添を依頼されて、最初から対局毎に勝敗を案じて
いた小林氏からの個人的な申出なのである それがため却って複雑化してきた
小林氏は高橋八段から左の要件を伝えられ、直接高木八段を訪問した
 一、明八日は午後九時頃から打って貰いたい
 一、場所は今度高橋八段側で適当な場所を約束してあるから、高木八段側では配慮に及
  ばない
実はそれだけでよかったのである。
ところが、小林氏は出来るなら両八段対局は中止して貰いたいと言い出した
「私は古くから両八段を知っている その仲のよい友人が盤上で必死的な勝敗を争ってい
るのは私は見るに忍びない 何れ一方に傷がついてこの仲のよい二人が妙になるというこ
とは察し得られる 打ち分けになればともかく、左なくば、丸く納まらぬ様に思われる 
高橋八段はよく分かっているが、周囲の人達はかなりはげしい気勢を示している 幸い打
ち掛けの今、対局を中止されれば双方傷がつかずにすむから……」
といった話が出た
「成程仰せの通りである 高橋八段が其の気なら私はそれに反対するものではない しか
し私一存ではどうにもならぬ立場にある 新聞社関係もあるので、一先づ美山氏に話して、
内意を聞いた上、直接平井六段と会って話を進めて貰いたい」
これが高木八段の返事であった

そこでその晩すなわち七日の晩、平井六段と小林氏との会談になった
平井六段は言う「話は大体楽山氏から聞きました 私も異存を唱えるものではない しか
し何故最初にこの私に連絡をしてくれなかったか 対局気分をこわされたのは困りますが、
今となっては致仕方ない 目下打掛中の局面は立会人としても、双方に勝は見えないが勿
論先手は先着の利をあくまで保持して歩一歩と進みつつあると信ずる しかし局面は打掛
けではあるし、しかも先着に二日も日を費やしたと聞くと、この点は楽山氏にとって不利
である さなきだに訳のわからぬ連中の蠢動する珠界とて、楽山氏先番不利故打掛けを申
出て妥協したのではないかなどといわれまいものでもない よって打掛けの分が終ってか
ら、対局中止をするも遅くないでしょう それから楽山氏は美山氏と違って、聯珠を本業
とする人であって、幾多の新聞雑誌の聯珠欄を担当しそれに生命を投げうっている立場に
ある 万が一にも本対局にして楽山氏に不利となるならば、楽山氏の今日の地位はどうな
るか 美山氏ならばいわば内職の如き立場とて一敗地にまみれることが、よしあったにせ
よ 生活を左右される立場には置かれてない そこに両者立場の相違がある かく重大な
ポイントに立ち、いわば自ら危地に飛び込んで雌雄を決せんとする楽山氏 生命地位一切
までかけて戦っているのではないかと迄見える楽山氏の意気込み その意気燃ゆる楽山氏
の闘志旺んなる折も折、同氏に対局中止をすすめるに当って、何かそこに土産がなくては、
同氏としても、素手でオメオメ東京にも帰れまいし又主催者に対しても申し訳ないことと
思う そこで今貴殿が、高橋八段の周囲の人々を説いて漸く対局中止に迄漕ぎつけられた
その御骨折には絶大の謝意を表する が尚一歩進んでそのお土産に対して御配慮願いたい
のです」
小林氏曰く「どんなお土産です?」
平井氏曰く「土産のことは、これは私自身の考えで、楽山氏の意思でも何でもないことを
先づハッキリ御了解願って置いて頂きます その土産はほかでもありません 遠き将来又
は近き将来に於て楽山氏を名人に推薦した場合、美山氏も快く推薦者の一人として立って
頂きたい ただこれだけです」
小林氏曰く「それはもっともでしょうが、とても不可能です 既に対局中止さえ真向から
反対され、『余計な事をしてくれた まるで高橋八段が、頼んで中止を頼んだ形にしか見
えぬ』と迄いわれた揚句のこと、取次いで見る迄もなく、否定されることは明らかである」
平井氏曰く「多分そうかも知れません 今度の対局は勿論報知戦であって、名人位争奪の
決戦ではありませんが、しかしこの勝負の結果は、後年名人位を占むる際の一階程となる
ことは明かで、例えば初段が昇段する際にも「あの会では負けた、あの人はどうだった」
と言って考査の一資料となるが如く、今回の対局の結果は、やはりそういった一資料にさ
れることは当然でなければならない 対局の結果ばかりで名人位云々をした人はないがそ
の人の強弱も重大なる関係を有するものと見て、何ら差し支えないことと思う
どうぞ美山氏に私個人が右の如き土産を申出たがということを御伝え願いたい
それから立会人のことですが、対局者二人附添二人として他は主催新聞社の方々だけ、他
の立会兼御見物の方々は全部同席せず、極く静かに対局させてほしい 私自身も出ません
から、貴殿もどうかその通りにして頂けませんか 対局者が叶わないでしょうから
次に明日の対局はこれを十日に延期していただきたい その理由は九日午後七時二十分か
ら実戦放送をするのでその準備をしたいからです 美山氏が先刻申し上げた御土産を頂く
なら対局日取りは取消になりますが、話が暗礁に乗上げた時の用意に申上げておきます
右申し上げたことによって、是非今晩中にでも御返事下されば幸です」
申上げるのは忘れたが、場所は三国舘で、楽山氏も誰もいない別室での話である そこで
永田五段とそれから美山氏側の人を呼び入れて始終の話の経過を述べて話を打切った 時
に十二時を過ぎていた

翌日聞いたことではあるが、一時頃美山氏側の人から電話があって、八日午前九時から対
局するといって来た由であった それに対して楽山氏は十日迄延期頼む旨を打電したとの
ことである 主催者たる報知新聞社大阪支局にもその旨を通じておいたことは申すまでも
ない
ここに面白いのは小林氏である 高橋氏共々高麗橋五丁目の報知新聞社大阪支局長関太一
郎氏を訪ね次の通り話があったことである 
すなわち「高木八段の方から十日まで延期の電報が来た 七日は休み更に八日九日と日延
べをしている 何のためか理由が分らない こちらとしては主催者の意向に従いはするが、
その延ばす理由の釈明を得たい」

当然の結果として関支局長から電話があり 至急面談したいので夕刻までにでかけるとの
ことであった オフィスの帰りに楽山氏を訪ねた平井氏はそれを聞いて、では一所に出掛
けようと永田氏共々報知社支局に行ったのであった そしてその理由を判然と申し上げた
訳だった ただし八日は休む理由としては高木八段は次の通り述べた
「平井君は八日の休みを放送のためと言ったのはむしろ小林氏に対する好意で、実際は中
止問題で対局気分をこわされたのが主因である」


翌九日関支局長はわざわざ御多忙中の時間を割かれて、美山氏宅を訪問した そして十日
まで延期した理由を明らかにし、いよいよ九日午後一時から、場所報知新聞社大阪支局の
楼上で、対局の約をして、そこを去られ、その由楽山氏まで電話された 尚この間矢野六
段も種々斡旋する所があった
その九日の晩は聯珠実戦放送を行った


明けくれば十日対局の日取りとなった が突然、誠に意外 高橋美山氏代理の某から矢野
六段に電話があり、「私は親類のものですが、美山氏は絶対に楽山氏とは対局させません」
かなり興奮した電話であった由である 「私は美山氏と応対したので、あなたは誰か存じ
ませんが、その御話は私は受け難い」と矢野氏は返事した
楽山氏側の対局延期にすら理由を求めた美山氏が、対局打切りに対して何の理由も示さず
して、そのまま対局を忌避さんとするのであった 美山氏のためにこれを惜しむ
関支局長、矢野両氏に対する御骨折一切を無視して対局忌避する美山氏 その理由はとも
あれ、これまさに聖代珠界の一大珍事であらねばならない


遥々下阪した楽山氏 多大の日時と費用を犠牲にして得たものは何? 曰く相手方の対局
忌避 呆然、唖然為すべきところを知らずである

一度仲介に立った矢野氏 所謂乗りかけた船である 再び美山氏をたづね、その帰途報知
社に関氏を訪れ、鳩首協議するところあり その結果堂島中町の中央電気倶楽部に、矢野
氏の名をもって、直接関係者一同並に第三者たる国民新聞支局長大竹氏を招じて局面打開
の方法をとることに決定された


その会合の顛末を述べるに先立って、対局忌避の結果を産んだ理由は、大略左の如きもの
であったことを告げねばならない
一、報知新聞社所載の如く今回の対局が名人位争奪戦ならば(前掲の新聞記事参照 それ
 には「聯珠の名人争いともいうべき云々」とあり 見出しには「名人争の聯珠」とある)
 もっと待遇をよくして貰う すなわち対局料をもっと沢山出して貰わねばならない
二、商売をしている関係上、時間無制限とはいえあんなに長考されてはたまらない 何と
 か時間の制限をつけてくれねば困る
これが高橋八段からの主な条件で、このほか放送の折、平井八段が「関西、関東の日の下
開山ともいうべき高木八段云々」といったのは怪しからぬといったようなこまかい不平と
かもあったのである

思え、読者よ 対局中における手合料金の値上げ請求である 東西争覇戦ならいいが、名
人争いなら、もっと金を出してくれなければ打てない 金によって打ち方が違うんだとい
うに等しい
尚、思え かつて山下部某が名人の名乗りをあげた際に「時間無制限なら対局する 時間
をつけるなんて法はない」と反対したその人が、今日は時間制限がなくては打てぬという
のである

秋の日足は早い 十一日午後六時中央電気倶楽部に集合したのは次の人々である
 関太一郎(報知) 大竹又次郎(国民) 矢野定三 高木楽山 高橋美山 平井学 永
田富次郎 笹部池石 岡田梅芳の諸氏(順不同)

一同会食後別室で先づ矢野氏より経過報告あり 尚関氏これを補佐し、次いで大竹氏より
従来の一切の行懸りはこれを捨てて気持ちよく対局さる様にさるるのが穏当なるべしの申
し添えあり (高橋氏側より)種々条件提出されこれに応答す その申合条項に入る直前
平井氏より次の質問あり
「関、矢野両氏がワザワザ足を運ばれて、十日に打つことに決定されたにも拘らず、御親
類の方が違約されたりして、甚だ困りましたが、一体、高橋氏側で打つとか打たぬとかの
最後の決定権はどなたが有しておられるのでしょうか、これをはっきりして頂きませんと
折角今晩決めたことが、再び変更されたりしては、何をしているのか無意味になりますか
ら」

暫くの間返事なし

岡田氏「それは高橋さんにあるんでしょう」
平井氏「それに間違いないんでしょうね」
高橋氏うなづく

時間制限の問題に入り、高木氏、高橋氏に詰め寄る
「時間制限のことは、本心から言っているのですか かつては反対されたあなたが…?」
「まさか、あんなに時間がかかるまいと思っていたので……それに脚気で困っていますし
……商売の方を捨てておく訳にも行かず……」
と高橋氏は応える
高木氏「時間がかかるといって、無理に時間を空費している訳ぢゃなく、それも今平井氏
のいった通り局面にもよりますから……しかし持ち時間は何時間位にするのです?」
高橋氏「山下部氏の時にあなたは十時間で打つと言いましたね それでどうです?」
高木氏「あの時は相手が病気だというので、では気の毒だからといって、ああしたのです
今度もあなたが御病気なら、実は無理にそんな時に対局するのもいやですから、すっかり
健康になってから打ちたいのですが……」
平井氏「八段の方が持時間を十時間とすると、初段の方はどの位にするとか、これは随分
難しい問題で、これも今晩中に決定は出来ず、それに前の条件を中途から変更したりする
ことになれば、一旦東京へ行って相談の要がありますね」
矢野氏「とにかく、打ち掛けの分は従来の条件で打たれたら如何です そして次の八局は
時間制をつけることにしたら……」
関氏「私の方も種々条件が変ったりするので、一応は本社に照会しなくてはならず、ここ
で速断出来ませんが、ともかく今度だけ暫定的に時間制でやりたいという高橋氏の希望条
件として、申合せ条項に書いておいたらと考えますが……」

斯くして対局日時は高橋氏の商売の都合、又高木氏帰京、打合せを参酌しつつ次の如く申
合せ条項を、矢野氏も認め、一同これにサインして散会した 時に十時半

 高木高橋両八段対局申合せ
 
一、十月二十一日午後一時より対局打継のこと
一、競技場所は報知新聞社大阪支局のこと
三、対局最初の二番は従前通りの申合によること
四、残りの競技条件及び対局数は別にこれを定むること
五、今回の対局は名人問題と別個のものたること
    高橋八段希望条件
一、総局数六局のこと
二、今回の対局状態に鑑み時間制のこと
   (注:その後第3局以降は持時間十時間とすることで合意)
名人問題云々は高橋氏側の提案である 高木氏が勝てば、直に名人を名乗るであろうし、
負ければあれば単に争覇戦だと逃げるであろうからというのである であるが故に負けて
も名人になり得るということにもなる訳である
結局対局数は六局に減じられたのである 一方が四局ストレートで勝てば(総局数六局な
るが故に)それで済む訳で、六局全部打つ要は自然消滅になることになる
斯くして、十三日高木八段、永田五段は電気倶楽部稽古日に出席 平井六段共々稽古打を
済ませ、その夜十時田村、平井両氏に送られて大阪駅を立ち帰京した

越えて二十一日早朝、高木八段は四段川島昇山氏と共に着阪、長旅の疲れも物かは、その
日午後三時より対局にのぞんだ
(注 以下、対局の経過は報知新聞、戦譜は「連珠世界」誌からの転載です)

昭和5年10月23日付 報知新聞

未曾有の熱戦後 高木八段勝つ
21日大阪で続開された東西聯珠決勝戦


斯界の新紀元ともいうべき封手まで行い未曾有の白熱戦を演じて満天下の聯珠愛好者を
うならせている東京高木楽山対大阪高橋美山両八段の本社主催東西聯珠決勝戦第一局第
三日目は二十一日午後四時五分本社大阪支局楼上で開始され、当の両八段及び対手を預
かった本社関支局長等によって先づ開封され(中略)同五時まで殆ど一時間に九珠を打
ち進み第一日第二日に比し予想外に急速の展開を示した。(中略)中盤では形勢混沌と
していたが終盤近くで高木八段が下した一手から形勢俄に高木氏に有利となり白すこぶ
る苦戦に陥って最早収拾すべからざるに至りついに最後の黒三十五珠で勝負歴然たるも
のになってさしもに緊張した第一局は二十一日午後九時四十分先手の勝ちという順調な
帰着を見た この対局所要時間高木八段十六時間二十二分高橋八段四時間四分合計二十
時間六分 対局中市内各所からの電話または支局を訪ね形勢を質問する者ひきも切らず
斯界空前の緊張振であった

第1局総譜(黒35まで)
高木八段自評
(連珠世界1976年2月号より、以下同)
黒3と「長星」を指定し、白4、6と
打った後手の策はかなり強い。7は最
善の着点である。白8は味がある。
9は結果からみれば善いことにはなる
が、この場合は13にヒイて白14に止め
させ、黒次に18に
曲がっておき、以下
追勝にするのが正しい手順であった。
10はAの点に打っておくほうが強かっ
た。11、12以下20、21までの珠順は最
善と最強の交換である。22は、32かB
に被せるほうが強かった。
23以降間然とするところがない。
24以降は、黒に誤着がなかったので致
し方なかった。

昭和5年10月24日付 報知新聞

大接戦の後 高木氏再勝
東西聯珠決勝戦第二局


本社主催東西聯珠決勝戦は東京高木八段大阪高橋八段により開始され第一局は対局中に
意外の波瀾を生じて前後十数日にわたり打掛けニ回に及びついに高木氏の勝利に帰した
が引続き第ニ局は二十二日午後三時三十四分本社大阪支局で大阪高橋八段先番で開始
午後五時三十二分まで(中略)僅か二時間足らずに十六手を打ち第一局と打って変った
急速度で局面を進め黒第五珠は第一局同様後手の指定打となり第六珠から第一局と変っ
た局面を展開して大接戦を演じたが、午後五時三十二分高木氏の十六珠のあとを受けて
高橋氏の下した黒第十七珠がゆるみ手であったので高木氏は白の十八珠より敢然として
追撃し(中略)黒三十一珠で先番高橋氏を三三に陥れ第二局も高木八段が再勝した 時
に午後八時二十七分 両氏の所要時間左の如し
 高橋氏ニ時間四十二分 高木氏一時間四十分 合計四時間二十二分

第2局総譜 黒高橋  白高木 (白30まで)
高木八段自評
「長星」を指定して、4、6、8と強策
を以って臨んだ作戦は当を得ていたと思
う。
黒7と眠三の鼻をたたいたのはこの際の
唯一の好着点である。9は一見凡手のよ
うだが、この場合種々の含みのある妙手
なのである。
10は強策の一手。11から14までの応接は
ともに最善。15が失着に近かった。この
際はともかく16にノビて白Cに止めさせ
黒次に15に打つべきであった。白22と出
て24と四追いを打ったのは、この場合最
善の手段である。
23はやはりBに止めるほうが強かった。
25は、ここに至ってはいずれに防ぐも白
に追勝ちがある故、白が手拍子でBに止
めればAに止めてたちまち攻守の位置を
替えるべく積極的に出たものであろうか
ら、単に四追いの見損じとして断ずるの
は不当である。


第3局総譜 黒高木  白高橋 (黒31まで)
高木八段自評
3と「流星」を指定し、4と叩いた後手
の策は強策である。5は9の点と共に先
手が選んだのを後手が指定したもので、
9より難局たることもちろんである。
なお、6と打った後手策もこの際最強で
ある。7は慣手、8は作戦上の善悪は別
だが、この場合の強着点としては12かA
のほうが勝っている。
9から11の順は妥当だが、12は一先ず13
に割っておくほうが強かった。
13以降の順は申し分なかったと思う。殊
に21の四追含みは本局の生命ともいうべ
き一手だった。
14以下は黒に失着がなかったので如何と
も策の施しようがなかったのであるが、
ただ18を反対に止めて戦えばたとえ先手
の追勝ちに帰するまでも黒は相当の珠数
を要する故、あるいはその間白の乗ずべ
き機会が出来ないものでもなかったと思
われる。
(消費時間 黒2時間16分 白51分)

昭和5年10月28日付 報知新聞

高木八段四勝す
本社主催東西聯珠決勝戦に


幾多の先例を作って斯界注視の的となった本社主催東京高木八段対大阪高橋八段の東西
聯珠決勝戦は第三局まで高木八段ストレートで勝ち第四局は25日午後八時二十分本社大
阪支局楼上に於て高橋八段の先番で開始された。
先般の申し合せによりこの度の対局に限り第三局からは対局者の持時間十時間という聯
珠界最初の持時間制を実施せるため、作戦及び用兵上に新工夫を要し両八段とも惨憺た
る苦心を払い、第四局第六珠までは第三局と同型で打進んだが、黒七珠から俄然別途に
展開を示した。されど戦局の進むにつれ高橋八段は苦戦に陥り白二十八珠で黒の投げと
なり高木八段ストレートで四勝し、天下の聯珠ファンをうならせ、東西聯珠決勝戦は高
木八段の優勝を以て終った。(後略)

第4局総譜 黒高橋  白高木 (白28まで)
高木八段自評
3と「流星」を指定し、4・6と打った
のは高橋君の後手番と同じく強策である
7は本譜において初めて試みられた着点
であるが、他は多く難局となる故、今後
はあるいはこの高橋式7が用いられるこ
とになるかもと思われる好着点であった
8は強い。9の応手も悪くない。10は味のある強着点。11から16の応接は共に妥当。17は18を叩きたかった。
18〜20の応酬は予定の行動である。
21はAのほうが強かった。22は悪くない
23とヒイて25と打ったのは失策であった
23はともかく25に辛抱しておくところ。
24は絶好のチャンスをとらえし感があっ
た。25は26を叩いて戦うほうが幾分珠数
を増したであろうが、この際としてはこ
の着所で無理ではない。26・28は至当。
(注:本局は第3局終了後、わずか1時
間の休憩のあと開始されている。)
(消費時間 黒55分 白59分)

(以下は再び聯珠春秋誌から)
高木八段川島四段は二十六日夜平井八段と会食後、折柄観艦式にて至るところ日章旗の掲
げられた町中を散歩しつつ大阪駅を出発した

第弐局に蹉けるためか第三局の折も高橋八段側に声援者殆どなく僅かに車川五段立会人と
して列席したるのみ 而かも当の高橋八段が亦意気昂らず 医者のすすめなりと称しつつ
対局中、杯を手にしたるは、遺憾なりしも翻って同氏の心中察すれば亦一掬の涙なきを得
ず 勝敗は平家の常、更に奮起、捲土重来の日を待たんとするもの

対局中の態度又は観戦者の不可解なる言辞行動は、他の日に亦論ずべく、今は敢えて触れ
ず 唯聯珠社並に春秋会の最初より正々堂々のモットーに恥ぢざりし態度を喜ぶ 而して
敗軍の将却って兵を語り、観戦者は対局者の策戦を難ずる等の光景を見せられたる我々は
未だ珠道を解するの徒、甚だ少かりしを嘆ぜり
何れにしても、斯道の先端に立つ両高段者が、率先実戦対局を行い、範を珠界にたれたる
点に深く敬意を表すると同時に、無対局昇段の徒に対する警鐘なり 今後目覚め足る聯珠
家●(注:竹冠に族)生し、囲碁将棋界の如く高段者戦の実現を見るべきを思いて、更に
感謝の意を表するものなり                  (本項 以上で完結)