チェンマイと将棋
 

 日本では縁台将棋と言うのがあった。路地のいっかくで、縁台に座り込んだ親父達が将棋を指しながら、将棋の駒の近くに飲みかけのビールを置き、片手にうちわを持ちながら、時折、それで蚊などをたたくのである。傍らの道いく者達の中に、年頃の娘などがよそいきの格好をして通り過ぎれば、「おや、きれいになっちゃって、今日はデートかい、おねえちゃん」などと冷やかしの一つくらいは入れる所である。これを見なくなって大分立つ、と言いたいが、そんなものを本当に子供の頃、みたかどうかは思い出せないのに、僕の頭の原風景にはちゃんとその光景はあるのである。ひょっとしたら、寅さんシリーズのような映画やテレビドラマでもって刷り込まれている風景なのかもしれない。しかし、チェンマイの僕達不良おじさんの昼の過ごし方は、まさしく、それだった。

 さすがに縁台とはいかなかったが、路地の間際まで進出したテーブルの上に将棋盤を置き、数人の日本人がたむろして、将棋盤を囲んだり、漫画本を読んだり、バンコクより届けられた、その日発行の読売新聞などを読んでいる。店は間口二間くらいの単なる小さな飯屋であるが、それなりの日本食を出す。チェンマイにはいくつかの日本食を出す店があるが、その中で、一番、金をかけていない食堂に一番の客が入っている。皮肉なものだ。かといって、その客が居着くこと二時間、三時間は当たり前、四時間、五時間などという事はざらであるから、客の頭数程、店はもうからない。しかし、いつしかチェンマイでも、このたまり場が評判になって、どうして、こんな類の客が、こんな路地裏の店を知っているのだろうと不思議がる程に、いろいろな客が来るようになった。不良おじさん達の功績も捨てたものではない。

  なんといっても、その車一台通れるほどの広さの路地が良かった。いつも、近所のガキどもが遊んでいて、路地の奥には多数のゲストハウスもあり、中ランクくらいのホテルもあり、置屋まで行き着く更に細い道もあった。タイ人しか泊まらぬ安い木造のアパートもあって、そこには水商売の女達が主に住んでいた。路地は他の路地とも交わっていたが、そこの通りが、チェンマイのにぎやかな通りにでる一番の近道だったから、実にいろいろな人間が飯屋の前を通るのである。つい最近、ベッドの上でお世話になった、バーのお姉ちゃんも通るし、近くの国でであった旅人達も通る。側を通る西洋人達は、飯屋の入り口で、不思議な手垢にまみれた木製のゲーム盤をいつも睨んでいる、間延びした日本人達の面々と、竹を編んだ壁の安普請の店を見比べながら、ここはいったいどんな店なんだ、と不思議そうな顔をして、通り過ぎていく。しかし、毎度毎度、同じ風景を目にして、この日本人達に、「おい、また同じ所で同じ事をやっているのか」と呆れながら近づいてくる西洋人は、多分最近夜の酒場で仲良くなった者達である。

 酒場と言えば、そこに勤める女達にもこの店の事は広まって、昼間、日本人の長期滞在の不良おじさんを探すのに、この店に来て、誰々はいるか、と言うような事まで覚えてしまった。

  隣がクリーニング屋なので、時折ほれぼれするような褐色の肌をきらりとさせた若いタイのお姉ちゃんが客として隣にやって来るが、そんなときは将棋で王手をされて呻いているおじさんも、顔をそちらに振り向いて値踏みするのだけは忘れない。一度、背の高いドイツ人が来て、将棋を指している者達の隣に立ち、どなたか碁の相手をして欲しい、といってきたときがあった。店にはちゃんと碁盤も石もそろっていたが、不幸にして、人とまともに碁を打ち合えるだけの者はそこにいなかったので、お引き取り願った。聞けば、シナリオライターとして、ドイツで生きているらしい。まことに、将棋のようにおもしろいものが、碁と同様に世界に広まってくれればいいが、ここで、毎日将棋の修練を積んでいるおじさん達の技量はひどいもので、他国人による道場荒らしの挑戦を受ければ、世界に恥をさらすだけなので、ローカルな世界にとどめていた方がここの住人達にはいいのかもしれない。

  本当に、将棋の下手な人種と言うものは、あるところまでいくと、いくらやってもその先に行けない。その、あるところと言うのが、皆同じなので、逆に言えば、その日の調子で勝ったり負けたりしているので飽きが来ないのである。多分、あるところと言うのはアマチェアの初段程度か、その少し上だろう。おじさんの中には、日々のメリハリが将棋にひどく傾いている人もいて、縁台将棋にしては、異様な執念を見せる。そんなおかしな人間に負けるのもしゃくに障るので、その相手も熱を上げる。そんな事くらいならば、将棋の本などを自分の部屋に持ち込むなどして、研鑽に励めば、すぐに不良おじさんレベルの壁は突破出来るのに、そこまではしない。それがチェンマイ長期滞在派の特徴なのである。

前にネパールを共に旅したことのある人と、ポカラの宿で、旅人の吹き溜まりの特徴を挙げていったことがあった。二人とも「飛び抜けた創造性を憎み、他人より抜け駆けしようとする努力を憎む」、と言う点で一致した。要するに、何事も中途半端がいいのである。

 数年前にまだ若い学生のような日本人の男がその店に来た。聞けば、将棋は得意であるという。この店に来て、将棋を指すという事は、この若者も不良おじさんの予備軍にでもなりたいのかと思って、嫌みな忠告をいう前に、一局誰かがお相手した。まるで歯が立たない。次も同じである。聞けば、アマ五段だという。その男のクラブは東大と覇権を争ったらしい。だから、将棋を指していて相手の壁の高さが見えない。相手が一枚落として、それでもチェンマイのおじさんは勝てない。飛車角落として、それでも勝てない奴がいたので、それ以上自分の実力を知りたくないおじさん達は二枚落ちは一番手の一局だけにして辞めた。

その後、その若き男が将棋の師匠として、チェンマイのおじさん将棋愛好会に受け入れられたかと思うと、とんでもなかった。翌日から、その男は誰からも無視されたのである。その男を背にして将棋を打ち始めたのである。そのために、若い男はすぐにその店に来なくなった。その男の将来を思うなら、その方が良かったかもしれない。先ほどもいったように、吹き溜まりに、抜きんでた存在は要らなかったのである。

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