「さくら」と「宇宙堂」

990年代のチェンマイに、「さくら」と「宇宙堂」と言う二つの店がムンムアン通りのソイ2にあった。これは、チェンマイの日本人社会にとっては良くも悪しくも特筆されるべき店だった。他に、日本人が経営の日本人相手の店もあるにはあったが、この二軒の店の日本人の密着度において比較にならなかった。特に、「さくら」である。チェンマイの長期滞在者達は、この店のためにどれだけ、恩恵をこうむったかわからない。料理を作るのはタイ人の女性達だが、実質的な経営者の有山氏が味を管理しており、また、客のわがままな注文にも応じてくれたりして、タイの料理を受け付けない旅行者もここにくれば、それ相応の値段で゛、日本の味を楽しめる事ができた。

店の間口は二間足らず゜だったが、日本人達にとって、かなり広い間口を持った空間だった。旅行者も、ヨーロッパ帰りと、インド帰りとでは、明らかにタイプが違っていても、この店の中では同居できた。娼婦を連れたパンチパーマにゴルフズボンのおじさんの集団がビールを飲んでにぎわっているテーブルの隣で、タイの北部山岳民族へのボランティアの女性が冷やし中華を食べていた。大学教授もヘロイン漬けの男も同じテーブルで飯を食べていた。そんな店が、日本のどこにあるというのだろうか。タイのチェンマイだから、ありえたのであり、チェンマイのソイ2の「さくら」だからありえたのである。

しかし、チェンマイにおける滞在者達が長期に顔をつき合わせてくると、それは日本よりもひどい村社会になってくる。いわば、日本人サロン化してくる。チェンマイ自体が停滞化しているのではなく、そこに寄りかかる者達の同じパターンの繰り返しと、毎日のように顔をつき合わせていなければならない、狭い人間関係のために、どうしても、空気が停滞化してくるのだ。それを嫌うものは、やはり、いて、僕の知り合いでも、このソイ2には足を向けない者がいた。彼は彼なりのスタイルを持った、優れた人物だった。だが、僕が特筆すべき事と、思うのは、もっと、簡単で、旅行者にとっては基本的な事だった。僅か、十バーツ程度の飲み物で、大の大人が、二時間も三時間も平気で団欒し、将棋などをやり、平気で、「また」といって、去っていくのである。何も、経済的に優れているから良いと言ってるわけでなく、雰囲気として、そのような事が許されるくらい優れて自由なのだ。あまりの居心地の良さに、停滞化しているのは僕達なのであって、僕達を取り巻く風は、自由に吹き抜けているのである。この居心地の良い自由さに、たいていのこだわりなど、多くの人は簡単にひざまずいてしまうのである。しかも、実質的な経営者の有山氏が、そんな長居の客に対して、曇った目をして見送った事など、僕は一度も見たことがなかった。だから、逆に客のほうが、気を使って、後日にまとめて散財しようとするが、値段が安いので、いくら注文してもたかが知れているわけである。

 それは、二軒おいた隣の「宇宙堂」にもいえた。その店は、古本屋の店だった。店主の渡辺氏はいつも、自分の店の奥の大型のテレビと「さくら」のテーブルをいったり来たりしていて、一日が終えた。本棚には、かなりの数の日本の文庫本があったが、数年間、埃を払った事がない本がかなりあって、客は自分の手で埃を払ってから、それを広げ、気に入れば、どこにいるかわからない渡辺氏の姿を、探し出して、金を払っていくのである。この客のけなげなセルフサービスは、店主が長年かけて客を教育したと言って良い。

だが、「さくら」のテーブルを飽きた者たちは、宇宙堂のテレビの前に座り、日本からのビデオを見たり、雑誌を手に取ったりと、ここでも、金を使わずに、たむろしているのである。外国において、そういう空間を持てる事が、どれだけありがたい事か、日本人サロンと言われようがなんと言われようが、ここを知る旅行者は皆感謝しているはずである。

その二つの店も、今はソイ2にない。どちらもグレードアップして、離れたところに別々に越していった。もう、あの空間がチェンマイに戻って来る事はないのかも知れない。

週刊新潮1997年六月五日号に掲載された現在の宇宙堂。中央の人物は渡辺氏。現在は料理も出しており、なかなか評判を集めている。       これも同じ週刊新潮からの写真。旧さくらの店内。ちょうど真中の紙とじの部分なので、見にくくなってしまった。現在は場所を移してしまった。 中央が有山氏だが、写りが変なので、氏には内緒にしときたい。
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ドイ・ステープ

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なお、現在の「さくら」と「宇宙堂」に関してはこちらの後藤氏のHPが詳しいのでどうぞ

http://member.nifty.ne.jp/sakura-uchudou/

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