次の文章は、イシがだいぶ前に書き散らしたものです。読みづらいのですが、勅使川原三郎さんとその作品について、ある程度わかっていただけるかと思います。なお、これは、箱庭療法と芸術について述べた文章の一部ですので、やたらと「庭」にこだわっています(笑)。






 勅使川原三郎氏は近年活動の著しいダンサー・振付家である。氏はまず彫塑を学び、そのうち自分の身体で表現がしたくなり、パントマイムを習い、その後バレエを習った。しかしそれらは自分のやりたいことと違っていたので、やめてしまった。今のテシガワラ・ダンスは独自の動きで満たされている。
 サブロー・ダンスは、ことばで表現することが難しい。勅使川原氏のデザインした舞台で三郎さん自身と彼が率いるダンスグループ KARAS の面々が身をくねらせる。その動きはゼンマイを巻き過ぎた人形が跳ね飛ぶようであったり、渦巻く水のイメージを発散したり、ガス体が漂っているような感じを与えたり、これら様々なイメージがめまぐるしく入れ替わる。あるときは太極拳を思わせるゆるやかな動き、あるときは体操を連想させる動き。そして痙攣。工業のイメージ。命令の秩序。倒れ込む人体。任務の遂行。破綻。外から操るもの。空気に弄ばれる人形。言葉にできない思い。勅使川原氏の選んだ音楽がこれらの情景に見事に加わる。汽笛の音、工場の機械音、ノイズ・ミュージック、そうかと思うと『ラメント』のようなクラシックが用いられる。舞踊・美術・音楽・照明などと分けて述べることが不自然なほど、作品は見事に構成されている。観客はそのステージを観るうちに我を忘れる。時間を忘れて見入ってしまう。
 私はここで「場」について述べたいのだ。このパフォーマンスが繰りひろげられる場は、氏が自らデザインした舞台装置で構成される。それは巨大な煤けた壁であったり、本のばらまかれた空間だったり、ガラスのザクザクした破片、真紅の布、はるかな高みから降ろされた電球の群や透明な焼却炉・煙突であったりする。錆びた鉄板を敷き詰めた廃工場や、取り壊し直前の駅舎が舞台になったこともある。これらは三郎さんが置いた部品だ。舞台は三郎さんの庭である。気に入った部品を庭のあちこちに散乱させて、そのなかに三郎さんは飛び込んでいく。
 そこで夢を見るのだ。我を忘れて、自分のなかに住んでいるいろいろな「心の人々」につき動かされて三郎さんは踊らされている。「心の人々」とは三郎さんの言葉だが、それが入れ替わりたち替わり現れては消えていく。彼のダンスにはそんな言い方がしっくりとする。
(中略:夢と箱庭の違いについて、ちょっと理屈をこねてまして)(^−^)
 三郎さんのダンス・パフォーマンスは、夢と箱庭の中間に浮かんでいるように見える。三郎さんにとって KARAS の人々はそれぞれ特徴を備えた動く部品であり、同時に三郎さんのコントロールの及ばない夢の登場人物なのであり、おそらく、暗闇からじっとみつめている何百もの目も、庭の部品として不可欠なものに違いない。

「自分が踊ってる時は、むきだしのテンションの中へ飛び込んでいくことにエネルギーを使って夢中になってるけど、自分が出ないで他人を振り付けている時は、客観的に探しているものがハッキリ見えてくるのでおもしろい。」(『ぴあピープルファイル』1988より)

 三郎さんは庭の部品や共演者に囲まれて踊る。自分一人で踊るソロの部分は大体即興だと、公演パンフの中で語っている(『モンタージュ』公演パンフ)。ここに、意識的制御を離れた自動的運動の現れる可能性がある。三郎さんが内なる動きに身をまかせるとき、どこからかやってくる「心の人々」=イメージの流れに踊らされる。このとき、三郎さんにとっても観客にとっても、次の展開は予想もつかない。意外な流れを三郎さんと観客は共有する。もしかすると三郎さんは、筋緊張消失を阻止された夢見猫のようになって踊っているのかもしれない。最近の作品シリーズは「体の夢」と銘打たれている。

「僕の中で踊りを考えるということは、詩的な作業なんです。実際に踊りを考えながら詩を書くことが多い。といっても、日本語の言葉として詩を成立させて、それを踊りに置き換えるというのではなくて、踊りとは、日常の中の、言葉になりにくいけれども現にあるいろいろな感覚や、思い、意識、夢、記憶などを身体の外に出すことだと思うから、それらを感じることから踊りを作り始めるのです。だから稽古といっても鏡の前でカウントを取りながら踊ることだけが稽古じゃなくて、日常のすべてが稽古だと思っています。」(同上)

 観客は三郎さんの作った庭に向き合い、三郎さんの体の夢を受け止める。観客は三郎さんの構成した作品全体を眺めることができる。それはまるで夢の共有状態と言ってもいいような関係だと私は思うのだ。



あのー、かえって判りづらくなりましたか? /(T-T)\  あとで作品ごとの解説を書きますから(涙)
筋緊張消失を阻止された夢見猫
動物が寝ていて夢なんか見ている状態=レム睡眠時には、体の力が抜けきっていて、グッタリしているものです。これを「筋緊張消失」と呼びます。ある種の薬品を施して、レム睡眠なのにグッタリしないように処置することを、「筋緊張消失を阻止する」と言います。この処置を与えた猫は、レム睡眠時に夢幻的行動(眠っていたのに突然立ち上がり、歩き回り、攻撃行動や防御行動を示す。覚醒時には何の異常も見られない)をとることが報告されています。
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