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デジカメ写真館 足尾

足尾銅山観光
足尾銅山は1610年(慶長5年)、足尾の農夫によって発見され、翌年から幕府直轄の銅山として採掘が始まった。生産された銅は、江戸城や日光の社寺の銅瓦、銅銭、銅材などに用いられ、最盛期にはオランダへ輸出されるほどだった。明治になって経営が古河市兵衛の手に移り、最新技術によって飛躍的に生産がのびたが、一方では鉱毒事件などの社会問題も起き、昭和48年閉山となった。足尾銅山観光は“日本一の鉱都”とよばれた足尾銅山の再現をはかって始められた国内最大の坑内観光。 この坑内観光を見学すると、足尾銅山の歴史や内容ばかりでなく鉱山のもつしくみをよく知ることができる。現在、銅山観光では、もっともっとくわしく銅山の様子を知ってもらうため、さらに内容を拡充させようと、新しい坑内観光の施設づくりにとりかかっている。
鋳銭座
足尾銅山観光内にある。時代劇の銭形平次でも知られる一般的な貨幣、寛永通宝(1文銭)は、江戸時代末期まで各地で作られていた。そのうち足尾で作られた寛永通宝にはすべて裏に「足」の字が刻まれ、「足字銭」と呼ばれいる。ここでは、その足字銭を作る様子を人形を使って再現しているので、昔のお金の作り方が分かる。
松木渓谷
足尾ダムのすぐ北西が渓谷の入り口。ダムの上流に続いている。煙害や山火事によって木はまったくなく、鋭い岩峰や地肌を見せる大小の山々、砂漠を思わせるような裾野の光景はなんとも異様で、西部劇に出てくる景色そのまま。日本のグランドキャニオンと呼ばれている。昔は緑の美しい山だったといわれ、公害の恐ろしさを実感する。日光中禅寺湖の裏手にあたり、中禅寺湖スカイラインの半月山頂からもこの荒涼たる風景が眺められる。
銅親水公園
全長160mの銅橋から足尾ダムを眺めるには最高のビューポイント。橋を渡れば、水遊びができる「じゃぶじゃぶ池」や足尾銅山の歴史や環境問題をパネルと映像で分かりやすく紹介する足尾環境学習センター、休憩がとれるコアハウス食事処などがある。公園の周りには、雄大な自然が広がっており、周囲の渓谷とともに景観が楽しめる。
足尾製錬所
足尾ダムから南へ1kmほど行くと渡良瀬川に沿って建っている。このあたりは、かつての足尾銅山の中心地であった。
治山事業
公害の原点と言われた過去を持つ足尾だが、現在は治山事業に力を入れ、荒れ果てた松木の山々も少しずつ緑が戻りつつある。
 渡良瀬川
渡良瀬川は、群馬県と栃木県の境にある皇海山(標高2143.5m)に源を発し、茨城県古河市で利根川と合流する。千年前の渡良瀬川は、太日川(おおいがわ、又はふといがわ)と呼ばれていた。
足尾ダム
渡良瀬川上流にある松木川、仁田元川、久蔵皮の合流点に造られた砂防ダム。4年5ヶ月の歳月をかけて、昭和30年に完成した。高さ39m、長さ204.4m、貯砂量500万立方メートルという日本一の砂防ダムで、水は7段に分けられて流れ落ちており、このダムによって下流の人々は水害や流砂の脅威から開放された。
古河掛水倶楽部
約100年前に銅山の迎賓館として建設され、1部の和風部分は明治末期に改築され洋風2階建てとなり、銅山の宿泊施設や会合に使用され現在も古河機械金属鰍フ福利厚生施設として現役で活躍しています。公開日は、土曜、日曜,祝日ですが、ウィクデーも事前に予約により受付致します。
古河橋
ドイツ人の設計により明治23年(1890)年12月に完成した日本でも初期の道路用の鉄橋として記念すべきものである。この橋は、長さ50m、幅4.6mで赤倉と本山を結ぶ。現在は老朽化が著しく歩道用として利用されており、隣に新古河橋が平成5年に架設された。
 旧小滝火薬庫跡
足尾銅山では明治14年頃から火薬を使って採鉱していた。この火薬庫は明治40年頃まで使用していたものと思われる。
 小滝
「山晴れ水澄むわれらが小滝・・・」と歌われた小滝は山紫水明で知られているが、その地名は、この真下から流れる庚申川に小さな滝があることから名づけられた。小滝の最盛期には、約12,000人が住んでいた。
旧小滝橋
明治20年に銅山便道として開削された小滝路に、唯一残された銅製の橋(長さ26.6m、幅3.05m)で、大正15年に架設された。
間藤水力発電所跡
明治10年(1877)より足尾銅山を経営した古河市兵衛は、ドイツのジーメンス電気機械製造会社のヘルマン・ゲスラー技師の勧めにより、はじめて水力発電にふみきり、明治23年12月、この地に原動所(水力発電所)を完成した。名残をとどめる直径1mの鉄管の一部が上の平がけ下にあり、原動所はこの下の渡良瀬川原にあった。